バイク半生を振り返るー①
2007年 12月 01日
BMを売ったので一度私のバイク半生を整理してみます。
R1100Sはちょうど10台目の愛車だったんですよ
思えばよくもまあ買い換えてきたものです。
【オートバイへの目覚め】
80年代前半、世の中はスーパースポーツバイクへの時代へ突入し始めていました。
中坊の私はある日偶然、少年ジャンプの巻頭カラーに載っていたバイクの写真に釘付けになってしまいました。
《YAMAHA RZ350》
本の中のバイクはビシッとハングオンを決めたコーナリング中の写真です。
こんな格好良い乗り物が世の中にあるのか!
かなりのディープインパクトでした。
そして、私のYAMAHA好きもスタートしたのです。
ジャンプに載っていたのはRZ350:ブルーラインのモデルです
上の写真よりも~っと格好いいんですよ!
【金の無い高校生】
バイクへの情熱はあっても、貧乏高校生では中免取るだけでも大変です。
情熱だけではバイクに乗ることは許されません!
三ナイ運動なんていうものもありましたしね。
世はまさにレーサーレプリカ全盛時代に突入し、H.Y.戦争(ホンダ、ヤマハ)などと言われたものです。
WGPでは、フレディー・スペンサー(別名:ファースト・フレディー)が250・500のダブルタイトルを獲得し圧倒的な速さを誇っていましたね。
何しろ、スタート直後の第一コーナーですでに後続を30m以上引き離しているんですから
人間ばなれした才能でした。
コーナー立ち上がりのウィリーはお約束です。
私の愛するYAMAHA軍団はまだ当時現役の、ケニー・ロバーツ
(別名:キング・ケニー、キングの称号が似合うのはケニーとカズだけだな)
No.1プレートが似合います。
キングvsスペンサー
新旧交代の攻防戦。
たとえて言うなら、シューマッハvsアロンソとゆうよりは千代の富士vs貴乃花の方がしっくりきます
当時は、ライダーの個性で乗り方もさまざまです。
ハングオンの生みの親:キング・ケニー
外脚はずして:ランディー・マモラ
おいらはいつでもリーンウィズ:クリスチャン・サロン
フランコ・ウンチーニもいいライダーでした。(名前もおもろいし)
サーの称号をもつ、バリー・シーンも渋いおじさんでした。
国内レースシーンも、元気です。
当時最も世界に近かった、ヤマハのエース平 忠彦
スズキの水谷さんもウォルターウルフガンマで粘りのある走りをみせてくれました。
特に平さまの86年WGPサンマリノでのGP250初優勝はロードレースを無視し続けていた
NHKでもニュースで報道したぐらいでしたからね!
当時はTTF1(4st 750cc)カテゴリーがあり、ワークースチームと市販車改造プライベーターのガチンコ勝負が
繰り広げられていました。
しかも、辻本選手が操るヨシムラGSX-R750は市販車改造でありながらワークスホンダを
余裕でぶっちぎる脅威のポテンシャルを誇りまさに無敵艦隊です。
さすがPOP親父は只者ではありません。
そんなすばらしいレースの世界を指をくわえて見ている貧乏高校生でした。
R1100Sはちょうど10台目の愛車だったんですよ
思えばよくもまあ買い換えてきたものです。
【オートバイへの目覚め】
80年代前半、世の中はスーパースポーツバイクへの時代へ突入し始めていました。
中坊の私はある日偶然、少年ジャンプの巻頭カラーに載っていたバイクの写真に釘付けになってしまいました。
《YAMAHA RZ350》
本の中のバイクはビシッとハングオンを決めたコーナリング中の写真です。
こんな格好良い乗り物が世の中にあるのか!
かなりのディープインパクトでした。
そして、私のYAMAHA好きもスタートしたのです。
ジャンプに載っていたのはRZ350:ブルーラインのモデルです
上の写真よりも~っと格好いいんですよ!
【金の無い高校生】
バイクへの情熱はあっても、貧乏高校生では中免取るだけでも大変です。
情熱だけではバイクに乗ることは許されません!
三ナイ運動なんていうものもありましたしね。
世はまさにレーサーレプリカ全盛時代に突入し、H.Y.戦争(ホンダ、ヤマハ)などと言われたものです。
WGPでは、フレディー・スペンサー(別名:ファースト・フレディー)が250・500のダブルタイトルを獲得し圧倒的な速さを誇っていましたね。
何しろ、スタート直後の第一コーナーですでに後続を30m以上引き離しているんですから
人間ばなれした才能でした。
コーナー立ち上がりのウィリーはお約束です。
私の愛するYAMAHA軍団はまだ当時現役の、ケニー・ロバーツ
(別名:キング・ケニー、キングの称号が似合うのはケニーとカズだけだな)
No.1プレートが似合います。
キングvsスペンサー
新旧交代の攻防戦。
たとえて言うなら、シューマッハvsアロンソとゆうよりは千代の富士vs貴乃花の方がしっくりきます
当時は、ライダーの個性で乗り方もさまざまです。
ハングオンの生みの親:キング・ケニー
外脚はずして:ランディー・マモラ
おいらはいつでもリーンウィズ:クリスチャン・サロン
フランコ・ウンチーニもいいライダーでした。(名前もおもろいし)
サーの称号をもつ、バリー・シーンも渋いおじさんでした。
国内レースシーンも、元気です。
当時最も世界に近かった、ヤマハのエース平 忠彦
スズキの水谷さんもウォルターウルフガンマで粘りのある走りをみせてくれました。
特に平さまの86年WGPサンマリノでのGP250初優勝はロードレースを無視し続けていた
NHKでもニュースで報道したぐらいでしたからね!
当時はTTF1(4st 750cc)カテゴリーがあり、ワークースチームと市販車改造プライベーターのガチンコ勝負が
繰り広げられていました。
しかも、辻本選手が操るヨシムラGSX-R750は市販車改造でありながらワークスホンダを
余裕でぶっちぎる脅威のポテンシャルを誇りまさに無敵艦隊です。
さすがPOP親父は只者ではありません。
そんなすばらしいレースの世界を指をくわえて見ている貧乏高校生でした。
by habayoshi2
| 2007-12-01 00:59
| オートバイ